ダリならこうする、と思わない?

 今朝は日の出前、5時から6時の間に起きた。今日はもーりーの仕事収めで、夜は彼の楽しみにしている忘年会なので、車で会社には行かず、いつもよりだいぶ早く家を出て電車で厚木から横須賀まで。年明けに欧州へ長めの出張に行く人のために、何キロもある変圧器をリュックに入れてしょって(博多弁で言うと、「からって」)行った。

 「車通勤の日に持っていったら良かったのに。渡されても飲み会の日じゃ、相手も重くて大変じゃないの?」と聞くと、相手の人はまだ来週も出勤するとのことで、会社に置いておけばいいらしく、それを聞いてホッとする。だって、その変圧器、私はとても数分間持ち上げていることもできないってくらい重いのだ。アメリカでは使わなかったけれど、スペインでは必要だったもので、その人はポルトガルに行くんだとか。ポルトガルも面白そうだなぁ。福岡の鶏卵素麺に似たお菓子があるって、この間テレビで見たよ。(これ一度書いたかも。)

 家に余らせていたユーロもかき集めて一緒に渡すつもりらしい。12~3ユーロあった(お札も1枚あった)から、乗り換えの空港でコーヒーでも飲むのに使えるだろうと。義母の京都土産である「こころばかり」と書かれたポチ袋に、そのお金を入れ持たせた。

 昨日私は車の免許の初めての更新で(一回も乗ってない。)、午後講習会に参加し、交通事故にまつわる映画を見た。更新手続きの申請に行ったのはひと月前で、講習会は後日というシステム。昨日ようやく新しい免許証をもらった。

 講習会で見た映画は、お子さんを亡くしたりした遺族のその後を映したもので、身につまされるものがあった。やはり実際に涙する人の姿も多く見られた。私のように年を取ってから免許を取ったという参加者で、お子さんもいるだろうという年齢の方々。私もその映像を見て、いろいろなことを考えた。こういう映画は自分をいろんな立場に置いてみつつ、考えさせる、ということにその意義があるのだろうな。

 夕飯時のこと。また昼間見たあの映画のことを思い出し、ふと、自分だったら…と考え、もーりーに伝えておきたいことがある、と思った。これも遺言、というものなのかな?まだ死ぬつもりはないけれど、明日のことは誰にも分からない。伝えられる時に伝えたい。「もりちゃん(本当はいつもはこのように呼んでいます。)、お願いがあるんだけどね。」

 「今日、飲酒運転とか過失の交通事故の被害にあった方達の映画を見たんだけれども、もし私があのようなことで死んだとしても、そしてそれが100%相手の過失だったとしても、私やその人のことを必要以上に考え続けて、自分の人生を過ごすようなことはしないでね。相手のことも私のことも過ぎ去ったものとして考えて、新しいもりちゃんの人生を楽しんで生きてね。」「事故じゃなくて病気でも、そのようにしてね。」「遺品もずーっと取っておくなんてこと、しなくていいからね。」

 「うん、大丈夫。全部ブックオフに持っていくから(笑)。」「うん、是非そうして(笑)。」

 日ごろもーりーは、自分の方が先に逝くだろうと言っているけれど、そう思っているならなおさら、先に伝えておかなくちゃ、って思った。上のようにおちゃらけつつも、思ったより真剣に私の言葉を聞き入れてくれて、「それは僕の場合でも同じ」と彼は言った。よかった、これで安心だ。

 変に思われるかもしれないけれど、「今が最後の瞬間でも、後悔しないように」という気持ちでいつも彼に接している。つもり。そうしたいと思っている。誰に対しても。そのようでありたい。それが一期一会というものだろう。今日の彼は昨日の彼ではないし、今日の私は昨日の私ではない。ずーっと連続しているようでもあり、そしてまた、それぞれが新しい瞬間でもあるのだ。

 さて、こんな話をしながら食べた昨夜の夕飯は、写真のレトルトカレーです(笑)。思ったよりもーりーの帰りが遅かったので、ご飯だけ炊いておいて、好きなものを買ってきてもらった。自分はハウスのポークカレーを、私にはS&Bのキーマカレーを買ってきてくれた。「マカロニサラダも作っておいて。」「はいよ。」

 卵くらい茹でといてあげましょう。中はとろとろにしておいたので、「サラダとカレー、どっちにのせる?」と聞くと、自分で卵を取り上げて、カレーの上にポン。

ダリならここに、こうやってのせると思わない?
ダリ風に卵をのせてみたんだ、これ。
ご飯の量とのバランスも、ダリならこうすると思わない?

(↑ごはん多すぎじゃないかと私が指摘していたので。)」

「あはは~(笑)そうかも。(ほんまかいな!?)」


 これ思い出したらきっと、ずーっと幸せな気持ちでいられるなぁ、と私は思う。またそのうち一緒に、ダリとガラに会いに、フィゲラスまで行きたいね。卵とパンの美術館へ。もし叶うなら、会ってみたいと思う大好きな人がたくさんいる。だけどその人達はたいてい、もうこの世にはいないのだけれど。それでも会うことのできる場所や手段が残っている。生きていた、生きているとは、そういうことなのかも。

 ☆ダリのサイトはこちら→Fundacio Gala-Salvador Dali 
 ☆ここにもダリの美術館→フロリダ旅行記


 

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