My "New York Blackout 2003" (NHKハイビジョン特集『ニューヨーク大停電の夜に』を見て)

ニューヨークのチャイナタウン近く
建物の窓にあったかわいい絵

『セックスお断り』

 
目の前の壁の貼り紙を見てぎょっとする。あぁ、ここって男性のお客さんも来るんだ。私のいるのはチェルシーのとあるマッサージサロン。中国系の女性が二人。アパートメントのような建物の地下にある。何軒か隣は部屋の一室を使ったヘアーサロン。道路に面した階は、1階も地下もぽつぽつとお店になっている。通りには洒落た看板。怪しい雰囲気など微塵もないと思って選んだ店だったので、まっすぐ目に飛び込んで来た貼り紙に少々驚いた。

何度目かのニューヨークのひとり旅だ。会社の夏の長期休暇を利用して遊びに来る。チープな旅なので、泊まるのはいつも103丁目のユースホステル。ひとり旅でも話し相手が見つかるのも良いし、何度も同じところを利用すると、ホステルの人や向かいの店の人たちともなじみになる。夏に来るのが最高だ。くそ暑いけれど陽が長いので旅の時間が長く感じられるし、なんといっても最高なのは街中でフリーコンサートに遭遇するところ。うまく有給休暇を前後にプラスして、土日を2回組み込めれば言うことはない。セントラルパークでのコンサートでは、結構なビッグネームのライブが楽しめる。一応ドネーションとは書かれているけれど、ほとんどタダみたいなもんだ。払っている人を申し訳ないが見たことがない。私はそれでセリア・クルーズ、ランディ・ウェストン、ジミー・クリフなどのライブを楽しんだ。他にも地元のゴスペルグループやラテンジャズのグループなどもたくさん。

2003年の8月14日は木曜日だったんだ。この日何があったかはもう世界中の人が知っている。そう、あの大停電の日。だけど朝起きた時には、誰もそんな”予定”なんて知りもしなかった。そりゃそうだよね。「今夜停電がありますよ」なんて、お知らせのある停電ではなかったもの。だから大勢の人がいつもどおり仕事に出かけ、私のような観光客だって、自分なりの予定を立てて出かけた。この日は昼間103丁目からダウンタウンまで歩いて(相当な距離だけど)、夕方には地下鉄でアッパーイーストに行きたいと思っていた。木曜の晩にはEl Museo del Barrioというスパニッシュ系の美術館で無料のコンサートがあるとVillage Voiceかなんかでチェックしていたから。

ニューヨークに来ると、街並みや街の匂いが面白いし、人々の様子も面白いし、本屋やスタバがたくさんあるので、ついつい街を縦横に延々歩いてしまう私。トイレに行きたくなれば本屋に入ればいいし、休憩したくなったらスタバでコーヒーでも飲めばいい。食事はユースホステルの向かいのモハメッドとアレックスのグロッサリーで、毎朝大きなベーグルサンドを買って半分に切り分けておいてもらう。朝半分食べて、残りの半分を持ち歩く。お腹が空いたらそれをいつでも頬張ればいい。レストランにも時々は行くけれど、なにしろチープな旅だからその辺は厳選しないと…ね。それに、ストリートフードの方が面白いって気もするし。食べる事には今みたいにはそれほど興味もなかったんだ。ユースホステルって調理場もあるしね。自炊が出来る。お腹が疲れると自分で作って食べたりもした。食材を買うって行為の方が、レストランに行くより面白いっていう気持ちもあったし。それに各国若者の料理する様子が、これまた最高に面白かったりもするんだ。まぁ、その話はまたいづれ…。


ソーホーで見た、ものすごくかっこいいリズムをたたき出す人。
しかもバケツで。

でもってその日は、いつもたくさん歩く私でも、ちょっと歩きすぎたなぁって思ってた。そろそろアップタウンに戻ろうかって時に、ちょうどマッサージ屋さんを見つけたんだ。ラッキー。そんなに高くない。それに何度か中国系の人のやっているネイルサロンを利用したけど、ネイルもさることながら手足のマッサージがとても良かったのを思い出した。飛行機に乗ったり歩き回ったり、旅っていつもと違う動きをするから、マッサージってありがたい。現在時刻は午後3時前。美術館のコンサートはたしか18時だったから、マッサージをしてから地下鉄で戻って、どっかで腹ごしらえをしたって充分間に合う。背中と足裏のマッサージをしてもらうことにした。良い香りのするアロママッサージ。名前は忘れてしまったけれど、かなり当たりの店だった。美人のお姉さんが何か声をかけてくれるたび、最後にソフトな声で「Miss」と私のことを呼ぶ。「かなりお疲れのようですね、Miss?」

すっかり上半身裸になってうつぶせになり、ちょうど良い加減のオイルマッサージに夢見心地でいると、カーテン越しに "Thank you むにゃむにゃ" という野太い声・・・え~!最初の貼り紙に驚きはしたものの、このカーテン1枚向こうは本当に男性のお客さんだったの?!すっごく静かだったので、誰もいないと思ってた。店内はほの暗い間接照明の灯りだけ。(今思うとそもそもキャンドルだったのだろか?)よい香りが漂う静かな空間。

背中や肩の凝りも取れてすっかり疲れも癒され、ハーブティーだか中国茶だかをご馳走になり、店のドアを出たところにあるトイレを借りてから、階段を上がって外に出た。トイレの電気はお店のお姉さんがつけてくれた。この時まだ電気はついていたんだ。地下の店だったから、電気がなくては廊下だって相当暗いだろう。1時間くらい経ったのだろうか?外はまだ昼間の日差しと変わらなく見える。

すっかり元気になった私は、性懲りもなくまた街を見ながら歩きたくなった。数ブロック歩いてから地下鉄に乗ろう。わき道から大通りに出てみよう。今、何時だろう?まだ日暮れには早いけど、もうレストランはキャンドルをともしている。もう夕方ってところだろうか。
 

【キャンドルライトは流行りの演出?】


それにしても店内、薄暗すぎやしないか?あれ?こっちの店もキャンドル。ブティックにもキャンドル?!この辺りの店の流行なのか、な?この演出、、、???この薄暗さとキャンドルの灯りが、ひょっとして今のトレンド???・・・・・あ・・・れ、れ?店から人が通りにどんどん出てくる?

大通りに出る角を曲がると、スーツ姿の人々が大勢通りにあふれ出した。しばらく歩くと手旗信号の人の姿。ん?あれ?信号消えてる。あれ?これってひょっとして、停電??何かを叫びながら交通整理しているのは、普通の格好をした普通の人々。あぁ~、地下鉄の入り口にもテープが張られている。地下鉄も止まっているの???え~?じゃあ、これからまたアップタウンまで全部歩くの~~~?????マッサージしてもらって、良かった!!!いやいや、そんなことより何より、今、地下鉄に乗っていなくて良かった~!!

バケツの中はチップがいっぱい!
思わず「いっぱい入ってるじゃん!」と日本語でつぶやいたら、
さっと中身を別のバケツに明けてしまった(笑)。
だれが聞いても、うまいしカッコイイものね。
 
街は見る見る人でごった返し、車は渋滞。何かの大行列みたいな様子になった。原宿の竹下通りの人混みをニューヨーク版に巨大化した感じ。報道カメラマンの人たちがまっすぐに進む私たちの姿を写そうと、人の流れと反対の方向に向いているのが見える。馬車だったか人力車のようなものに乗って、帰宅する女性の姿も見た。あぁ、これ、ひょっとして普通の規模の停電じゃないのかも・・・。じゃぁ、フリーコンサートなんてないかもな、、、。とりあえず、美術館まで行ってみよう。ブロードウェイに出て、セントラルパークの東側を目指す。途中で水を補給して、それから露天のアイスクリームも食べた。レインボーカラーのアイスクリーム。これがまた、いつもより美味しい。何しろ、暑い。人の多さで汗だくだ。

Museu del Barrioは閉まっていた。もちろん今夜のコンサートも中止だし、明日も臨時休業と書いてある。その代わり閉めた門の外側で、カフェの食べ物をお弁当のような形にして売っていた。その日の食材を、とりあえず売ってしまおうということなのだろう。そうだ、私も早くホステルに戻ろう。
 

【シャワーが使え、灯りもあり、友達もいた】


戻ってみると、ホステルの向かいのグロッサリーもピザ屋も閉まっていた。ホステルの売店は夜はやっていない。まだほとんど人は戻っていなかった。まずは明るいうちにシャワーを浴びよう。湯は普通に使うことが出来たので、水が出なくなるかもしれないなんてこれっぽっちも考えなかった。エアコンの効かない館内は暑く、手持ちの中で一番快適な服に着替え、人心地ついて外に出た。

ホステルの前のポーチに出ると、ナイジェリア系フランス人のルイスが「水と食いもんを買いに行こうぜ」と声をかけてくれた。この旅でおしゃべりするようになった、ちょっとおせっかいな24歳の男の子。ひとりでいるのは良くないぜって話しかけてくるわ、みんなの話の輪に入れと言って、日本人の女の子達の輪に私を引っ張っていたりする奴。これからカナダに留学するという18歳19歳の女の子達に、割り込んでゴメンねと言って、話に加わらせてもらう30歳目前の私。まったく、こいつはおせっかいもいいところだ。彼女達のCDプレーヤーをうばっては、日本のヒップホップを聞きながら音痴に歌うドレッドヘアーの男。ルイスは私の年を知らない。タバコ吸いすぎだぜって説教してきたり、そのわりに1本くれと言ってきたり。たった2~3週間の旅なのに、弟や妹が恋しいといって寂しがるルイスを、「だったら帰ればいいじゃん」と私は残酷に面白がった。奴は奴で目的のある旅らしく、一緒に街に出ることは一度もなかった。そして途中で、近くのもっと安いホステルへと移っていった。時折103丁目にも顔を見せたけれど、「俺はもうここの宿泊者じゃないから」とかなんとか言って、律儀にも絶対にポーチへと入って来なかった。他の人はそんなのお構いなしだったのに。ホームレスでさえ。(何人かのホームレスとも顔なじみなった。)

そんな変にまじめなルイスと一緒に、数ブロック上に歩き、やっと開いているピザ屋を見つけた。その時もピザを売っていたかどうか記憶にない。手に入れたのは大きいサイズの水のボトルをそれぞれ1本ずつと、パンの袋をひとつ。値段はいつもと同じだった。

ユースホステルの中庭。ここは静かで気持ちがいい。
階段を登ると広い芝生の庭につながっている。

【あなた日本人よね?】

 
"Excuse me, where did you get it?"(すみません、それ、どこで買いましたか?)

ポーチに戻り、ルイスと適当にパンを分け合ってかじっていると、後ろから声をかけられた。振り向くとちょっとお洒落さんなアジア人の男の子。あ、この人、日本人だ。

"Are you Japanese?"(あなた日本人よね?)

"Yes."の返事を待つとすぐに、「こっち2ブロックくらい先の、あの信号の横のピザ屋が開いてましたよ。」と私。隣でルイスが目を丸くして驚いている。急に早口で日本語を話す私を見てびっくりしたらしい。日本語で説明した方がもちろん早くて簡単。あの人、お水買えたかな?それは知らない。その後、姿も見なかった気がする。海外で、日本人の男の子はアジア人の中でダントツにお洒落だ。イケメンだとかそういう問題でなく、コーディネートされてるのだ、服も持ち物も。だからすぐ、日本人と分かる。ひと目で。ひょっとしたら、これは女性も同じなのかな?(ちなみにこのときの人は、なかなかイケメン君だったような気もするけれど。)

その晩はずっと、通りに面した建物の階段に座って、おしゃべりをして過ごした。ホステルは結局、真っ暗闇になどならなかった。廊下にもロビーにも非常灯がともり、夜中にもシャワーの水はたっぷり出ていたし、トイレも普通に使えた。建物だってたったの4階建てだから、エレベーターが止まっても全然問題はない。だいたいいつもだって、ここのエレベータはろくにちゃんと来ないから、部屋まで行くのに階段を昇ることのほうが多いのだ。町は少し静かだったけれど、タクシーの巨大な広告灯はいつもどおりギンギンに光を放っていた。ラジオもつければ音が聞こえた。向かいのアパートメントの窓には、ぽつぽつとろうそくの灯りがともっていて綺麗。ホステルのセキュリティーの男の子達、シーズンとジャマールもいつもどおり仕事に来た。ブロンクスからどうやって来たの?と聞くと、会社がタクシー代を出してくれたと言っていた。夜中のレセプションのレイは、「77年の停電の時は俺はまだ子供だったけど、こんなことはもう二度と起こらないって奴らは言ったのに、見ろよ、またこのザマだよ!」と大げさに楽しそうに話してくれた。

"Look! It happend again!"

翌日はバスが無料で走っていたらしい。歩くのが好きな私はそんなことは知らなかった。まだモハメッドとアレックスの店は閉まっている。さて、朝ごはんをどこで食べよう。とりあえずブロードウェイに出る。ベーグル屋が開いていた。混んでいる。後から来た警察官に、みんな順番を譲った。自分の番になって何を買ったかさっぱり覚えていない。そういえば、暑さで食材が悪くなっているかもしれない、なんて全然気にもかけなかった。だけど、いつもの朝ごはんよりずっと高くついたことだけは確かだ。小さなベーグルサンドひとつに、7ドルもかかった。モハメッドとアレックスの店ならば、この倍の大きさのサンドイッチとヨーグルト、オレンジジュースにコーヒーをつけても、5ドルでお釣りが来るというのに。それにおまけのガムなんかもつけてくれる。もともと高い店だったのか、停電で高くしていたのかは分からない。それでも食べるものがなかったので、そのまま買って帰った。どちらにしろ、7ドル分のスペシャルな美味しさだっだとは思わない。中身だってほんのお愛想程度のものだったのだから。水は昨日の大きいボトルがまだある。

【ロウソクをつけ、バーは今日も営業中】

 
何もすることもなく暇だったので、なんとなく、前回のニューヨークの旅で気に入ったメキシコ料理の店に行ってみた。スパニッシュハーレムの一角にあるお店。ここも閉まっている。どこも閉まっているのだなぁ・・・と思っていると、近くのバーが昼間から開けていた。レストランの方は閉めているものの、バーコーナーだけ開けているのだ。トイレを借りたいのと、ちょっと何か飲みたいのとで中に入った。この日もものすごく暑い一日だった。

カウンターにお客さんが数人。シェリーさん似の若いお姉さんが威勢よくしゃべりながらお酒を作っている。英語じゃないな、これ。スペイン語か、ポルトガル語???
コロナを注文してトイレを借りた。「途中の廊下で修理してる人がいるから気をつけて。中はろうそくつけてあるから。」と英語で教えてくれる。奥まったトイレまでの通路にも、等間隔でキャンドルライトが。赤い壁の色と合わさって、とてもキレイ。はしごに乗ったおじさんが天井に頭を突っ込み、「暗くて見えないよ」と言いながら何か修理している。カウンターに戻ると「これ、好きなだけどうぞ。」とジャイアントコーンのジャーを渡してくれた。ものすごい早口の、分からない言葉を音楽のように聞きながら喉の渇きを癒し、「ありがとう」と言って外へ出た。

ここでは時々、英語を話さない人々に出会う。そして私はしょっちゅう、「スパニッシュか?」と聞かれた。(南米の日系人に見えたのかな?)

Tシャツを売る露天商の人たち。
この写真は、ちょうどサッカーの日韓共同ワールドカップの年で、
韓国が勝っていたから「コリア!コリア!」とうるさい。
「韓国人じゃない。」というと、今度は支離滅裂な日本語を話し出す(笑)。
でもこのおじさんに私は恩がある。
前の週のフリーコンサートのミュージシャンの名前を教えてもらったのだ。
偶然にも、この人と同じコンサートに行っていたというわけです。

【あれは映画のようだったよ It was like a film.】

 
2011年1月19日の夕方。年末に録画しておいたNHKハイビジョン特集『ニューヨーク大停電の夜に』を見た。あの夏、帰国後に出社した私を「大丈夫だったか?」とみんながとても心配してくれた。日本にまで伝わるほどのものだったとは、その時に知った。「普通だったよ」という私に、とても心配してくれた口の悪い先輩は「なんだよ、お前。エレベーターにくらい閉じ込められて来いよ!」と言って笑った。私はものすごくラッキーだったのだと思い知った。そういう状況にあった人も、きっといたに違いない。

歩かなくちゃならなくなる前にマッサージを受けていたり、宿泊先の安宿は元病院施設で、自家発電などの非常時の備えがちゃんと少しはあった。おしゃべりする相手もいたし、退屈さえしなかった。私はとてもラッキーだったのだ。あの時、地下鉄を避けられただけでも本当にありがたい。それから私は、なんとなく、この話はあまりしなくなった。

だけれど8年後に大停電の特番を見た私は再び驚く。その番組の中で話すニューヨーカーたちの多くは、あの夜はとてもエキサイティングで楽しかった、素敵な夜だったと語ったのだ。路上でのバーベキューや楽器の演奏、アイスクリーム屋が無料でアイスを配った話、どうせ暑さで悪くなるくらいならと、大バーゲンを繰り広げた食料品店などなど。閉める店が多い中、人々の食事のために営業し続けた石釜のピッツェリアや、野外営業用のバーベキューグリルを駆使して料理を振る舞った店。そのテレビに出ていたブルックリンのTwo Bootsのグリルは、私もプロスペクト・パークでのフリーコンサートの時に食べたことがある。とっても美味しくて、その後にお店にも足を運んだ。量もばっちり多くって、一人で食べるにはとても大変なのだけれど…。あの停電の日に、あの料理が振る舞われたなんてすごい!

多くの人が「年に一回くらいなら、停電も悪くない。」と話していた。電気のない一夜の出来事が、人々の親近感を増し、今まで交流のなかった人同士の間をつないだと話す。あの夜は素敵な贈り物だったと話す。私はとても驚いた。ならば、私も書いてもいいのではないか。私のあの日の「楽しかった」体験を。ずっと書きたいと思っていたのだ。なぜなら、あの日は素敵だった。

停電もあけた土曜日、セントラルパークに踊りに行って、いつものようにナジャに会った。「あの日どこにいたの?」と聞くと、たった二日前のことなのにとても懐かしそうな目をして、ゆっくりと話をしてくれた。

「ブロンクスの姉の家に行き、帰りの電車を駅のホームで待っていたけど来なかった。待っても待っても来なかったよ。そのままホームで日が暮れるのを見ていた。とても美しかったよ。まるで映画みたいだった。それから姉の家にもどったのさ。」

It was like a film.

映画の仕事をするナジャが、映画のようだと感じた夕陽。ひょっとしたら、いつものニューヨークでは決して見ることのできない色の、特別な夕陽だったのかもしれない。



*本文と写真は直接は関係がありません。
*写真はレンズ付フィルム(だったとおもう)で撮ったものです。
プリントしてあるものをスキャンしました。



 

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