『チューリップ・ブック』を読んで


八坂書房さんから出ている『チューリップ・ブック』(2002年)を読みました。サブタイトルは、《イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史》です。17世紀のオランダにおける、いわゆる”チューリップ・バブル”について知りたいと思い、この本を手に取りました。

◇チューリップの歴史を概観する6編のアンソロジー


『チューリップ・ブック』は、チューリップについて6つの異なる視点から書かれたアンソロジーのような本です。

過去から現在までの品種についての話や、トルコやイランのチューリップの歴史と文化、17世紀からのヨーロッパでのチューリップブームについてなどが非常にコンパクトに収められており、チューリップにまつわる歴史を概観するのによい本だと思います。また、写真やカラー図版が豊富で、章ごとに注や文献リストがついているので、資料としての価値もたいへん高い本だと思います。

実はこの本を読む前に、同じテーマのほかの翻訳本を2冊図書館から借りたのですが、それぞれ複雑な歴史の描写や植物の学名で溢れており、なかなか読み進むことができませんでした。そこで、先にこの『チューリップ・ブック』を読むことでおおまかな流れをつかみ、情報を整理することにしました。

以下少々長くなりますが、各章ごとに著者名とタイトルをあげながら、詳細について触れていきます。

◆國重正昭 「チューリップ品種の歴史」 (p11-54)


チューリップはいったいどのくらいの品種があるのか?球根を買う時にも毎年新しいものが出ているような気もしますが、古い記録を含めると8000種にもなるそうで、また現代でも2600品種ものチューリップが世界中で栽培されているそうです。そしてその大半がオランダ産なのだとか。現代のオランダでのチューリップの分類も詳しく紹介されています。

しかし、もともとの自生地はオランダではなく、中央アジアの高原や山脈の地域だったようです。また、本に収められている原種の写真には背の低いものや葉の細いものもたくさん見られ、原種のチューリップは現在よく見られる長い茎のチューリップとはどうやら一味違っているようです。乾いた土の上で咲いているようにも見え、広めの縮れた葉の上に背丈の低い花の咲く様子などは、ちょっとサボテンを思わせます。

見た目だけではなく、香りについても面白い記述がなされています。チューリップの香りと聞いてそれを思い出せる人は少ないのではないかと思うのですが、実際それほど香りのする花ではないようです。とは言うものの、八重早咲き品種の項では香りのあるものについても触れられており、色や品種名があげられています。黄色のものに香りのすることが多いそうです。

章末には『日本人が初めて目にしたチューリップ』というページもあり、日本にどうのようにチューリップが伝来したのかが短く記されています。平賀源内が手に入れたという『紅毛花譜』(『花譜』)や、岩崎常正という人の描いた、日本最初のチューリップ図などを見ることができます。日本では明治時代まで、チューリップのことを鬱金香(うこんこう)と呼んでいたそうです。


 ◆ウィルフリッド・ブラント 「チューリップ狂時代」 (p55-100)


Wilfrid Blunt (1901-1987) の1950年の著作 Tulipomania を、南日育子さんが翻訳したものです。チューリップ・バブルはオランダだけかと思いきやそんなことはなく、バブルとまではいかないにしても、ほとんど同じ時代にフランスでもイギリスでもトルコでも、似たような熱狂はあったようです。

チューリップの球根をめぐる取引の過熱を、冷まそうとする動きも同様に起こったようです。オランダの例では、そのブームの真っ只中に刊行されたという『ワールモントとハールフートの対話』という小冊子の一部が、またイギリスの例では、18世紀初頭に印刷物に掲載されたという風刺的小話が紹介されています。

これらはともに物語風の形をとり、熱狂する人々へ皮肉をこめて送られた、警鐘のメッセージだったようです。また、そうした目的以外のチューリップにまつわる詩や歌もたくさん収録されており、当時の人々がいかにチューリップに夢中だったかが想像されます。

文中のモノクロ図版のほかに、章末にはイギリスの王立図書館所蔵という4枚のカラー図版が添えられています。いずれも当時のイギリスで描かれたものだそうで、これによりチューリップ狂時代に、どのような色や形をしたチューリップが人々を惹きつけていたのかを伺い知ることができます。


◆ヤマンラール水野美奈子 「イスラーム世界のチューリップ」 (p101-152)


ヨーロッパのチューリップ・バブルを知るという読書の目的からは少し外れますが、そもそもヨーロッパに入ってきたチューリップはトルコからもたらされたものだそうで、そのトルコやイランでのチューリップの歴史を知ることができるのがこの章です。

チューリップは文化的にもそれぞれの国に濃い影響を与えていたようで、花が紋様として使われる度合いは、ヨーロッパよりもこちらの方がずっと高かったのかもしれません。権力者の着るものの刺繍から一般市民の利用する場のタイル紋様まで、あらゆる場所でチューリップを図案化したものが見られるようです。

また、当時のチューリップと同じ品種は現在のトルコには残っていないそうで、紋様として描かれたものが、その時代を知る貴重な手がかりとなっているそうです。描かれたチューリップは非常にほっそりとした花の形をしており、さらに花びらの先が櫛状になった、たいへんユニークな姿をしています。さらに、トルコではすでに園芸種の存在もあったそうで、今につながる茎の長いチューリップが一輪挿しに活けられている絵も掲載されています。

トルコでは名前もチューリップではなく、ラーレと呼ばれているそうです。この呼び名にまつわる様々なエピソードや考察もとても面白かったです。


◆小林頼子 「天上の甘露を享ける花 17世紀オランダに咲いたチューリップの肖像」 (p153-236)


絵に表現されるチューリップをメインに、チューリップ・バブルと呼ばれる時代を書いた章です。チューリップを描いたものは、初めは博物学的な目的のための植物画や、取引きのためのカタログといったものが主でしたが、それが次第に、写実的ではありながらも華やかなイマジネーションの世界(季節の違う花を組み合わせた花束の絵など)を表現した油彩画が多くなり、さらに寓意的なものも現れ始めるといった具合に変化していったようです。

例えばこの章で紹介されている、ハンス・ボロンヒールという画家の「チューリップの花束」(1639年)という絵は、熱狂のストーリーを知った後で見ると、なにやら背筋がぞっとするような不気味さをたたえているようにも思えます。

その絵はひとつの花瓶に活けられたたくさんのチューリップが描かれているのですが、それはすべて、球根1個の値段で家1軒が軽く買えるほどの高値をつけたような希少種ばかりです。そして、その絵が紹介されたすぐ後には、当時の貨幣単位と単純労働者の一日の労賃を例に、球根1個が年収の15倍もの価格で取引きされていたのではないか?という試算が示されています。

一方、ガーバーという経済学者が1989年に発表したというチューリップ・バブルの検証も、この章では取り上げられています。こちらも当時の取引価格のデータをもとに値下がり率を比較し、本当にこれはバブルだったのか?という疑問を投げかけています。そして、値下がり率だけを見ればバブルとは言えない、という結論を導き出しているようです。

数々の美しい絵画とともに、その時代にチューリップの取引きに夢中になっていく人々の姿が語られる様は、たいへん生々しい迫力を感じさせます。見ごたえ、読み応えのある、たいへん面白い章です。


◆「ワールモントとハールフートの対話 ー フローラの興隆と衰退をめぐって」


チューリップ・バブルと現在呼ばれている1637年の真っ只中に、オランダで刊行されたパンフレット(小冊子)の邦訳です。1929年の英文抜粋訳を下地に、小林頼子さんと中島恵さんが翻訳したそうです。章の最初にパンフレットの刊行と翻訳に関する解説がコラムになっており、この小話の内容や取り上げた背景を知ることができます。

この話は一部、W.ブラントの『チューリップ狂時代』でも紹介されていました。当時のフローラと呼ばれたチューリップ投機家たちを、風刺する目的で刊行されたもののひとつだそうです。ワールモントとハールフートという二人の人物の対話からなるこの小話では、ハールフートと呼ばれる人物がフローラ(投機家)として登場します。そして、彼らの名前はそれぞれ、ワールモントは「正直者」、ハールフートは「欲張り」を意味する言葉なのだそうです。

パンフレットは3つの対話からなり、第一の対話ではハールフートがワールモントに、チューリップの球根の取引きがいかにおいしいかを熱弁します。売れ筋球根のリストは膨大で、さらにそれらがどうのような値動きで高値になっていったかが語られます。また、取引きがどこでどのように行われているのかが詳細に示されもします。

第2の対話は一転し、取引きに突然の陰りが訪れたことを示します。そして、取引きのどういった側面が、球根の値崩れ後(つまりバブルの崩壊後)に問題として浮上してきたかが語られます。球根も現金も動かさず、紙切れと手数料だけの取引きの姿が浮き彫りにされます。

第3の対話では、取引きの支払いにどのような「物」が使われたかの詳細が語られます。しかも、第2の対話までは希少品種の球根が取引きのアイテムでしたが、第3の対話では、ごくありふれた十把ひとからげの量り売りの球根までもが、投機対象になっていった様子が語られます。また人々は手元にそれだけの現金がなくとも、家や土地、家畜などをどんどんチューリップの球根と引き換えようとしていきます。

この邦訳の巻末には、『ハールフートの関わった球根の値段表』と『球根の実物大見本』が添えられており、この小話をたんなるおとぎ話やこっけい話とは違った、真に迫るものにしています。


◇チューリップへの理解を深め、他分野への興味も広げてくれる本


今回はとくに、はじめに述べた目的において、W.ブラントの『チューリップ狂時代』の邦訳と、その中にも引用されている『ワールモントとハールフートの対話』の邦訳、そして、小林頼子さんの『天上の甘露を享ける花』の3編がとても参考になりました。

きれいな印刷で収録されているたくさんのカラー図版により、当時どのような種類のチューリップに人々が熱狂したのかもたいへんよく分かりました。

また、複数の視点から描かれた『チューリップ・ブック』を読んだことにより、チューリップだけでなく、オランダの歴史や、世界の経済、植物を題材に描かれる美術などなど、様々な分野にまで興味が広がったように思います。その意味でも、たいへん実りある読書でした。エキサイティングでとても面白かったです。




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