草光敏雄先生トークショー@本屋B&B(下北沢)③

2月11日(土)に下北沢の本屋B&Bに聞きに行った、草光敏雄先生のトークショーのお話の続きです。

それでは「続きを読む」よりどうぞ。

7. 『歴史の工房』で森鴎外の『渋江抽斎』を取り上げていますが、興味を持ったのはいつですか?(*1)


留学前には歯が立ちませんでした。それで、ニーダムにいる時にケンブリッジの図書館に日本語の本が並んでいるところがありまして、そこで鴎外の全集を見つけたんです。80年代になってからです。鴎外は文学者として認識されていますが、歴史家としての、この人物はどういう人だろうという好奇心や探究心、その手法には本当にびっくりして頭が下がりました。20世紀のプロソフォグラフィですね。ある人の周辺にいる人々をくまなく調べることによって、メインの人物像が浮かび上がってくるというものです。同様の手法を使った有名な研究に、ネイミアの18世紀イギリスの下院議員についてのものがあります。その頃は政治的信念によってよりも、人間関係で政治が動いていました。〔ここで松家さんから「それ、翻訳出ていますか?」との質問があり、笑い声があがりました。〕

また、”そうたい”、苔を掃くと書きますが、掃苔というのもありますね。墓を訪ねるというものです。昔の墓石には文章が書いてありますから、それを読みに行くわけです。

〔ここで松家さんから、「ところで、鴎外が抽斎に魅かれたのは、自分に似てると思ったからじゃないでしょうか?」とあり、草光先生も「そうそうそうそう(笑)」と返す場面も。〕

抽斎は王道を歩かず、横町にはいるのが大事という人なんですよね。まぁ、鴎外は王道を歩んだ人だとは思いますけど(笑)。横町に入るっていうのは、今みんながやっていることばかりやらずに、人のやらないことをやるということです。

*1: 『歴史の工房』68-89ページ「鴎外の史伝と社会史」

8. (7の最後の話を受けて)横町に入るというのは自信がないとなかなかできませんよね。自信というのは人との出会いにもつながって行くと思います。草光先生もイギリスでラファエル・サミュエルさんという「親方」に出会ったのは、運を呼び寄せたのではないでしょうか?ところで、日常的に「親方」と同じ空間で(衣食住をともにして)学ぶのは珍しいのではないですか?(*2)


イギリスでも非常に珍しいことだと思いますし、日本でも珍しいと思います(笑)。友人に「ラファエル・サミュエルのところにいた時のことを書け。あの時のことはイギリス人にとっても読んで面白いと思うから」と言われます。

〔松家さん「先生と一緒に暮らすってどうなんですかね?息がつけなそうで僕なら無理かもしれません。声をかけてもらっても、いえ、独りでけっこうですって断ってしまうかもしれません(笑)。草光さんはその辺、どうだったんですか?」〕

人懐こい方だと思います。でもシャイですよ(笑)。だけどあの時はシェフィールドにいて、2年目からは寮を出なくてはならなかったんです。また、資料はロンドンにありましたので、ロンドンに出て来いと言われていました。自分ひとりで部屋を探すのも大変でしたし、ちょうといいタイミングだったというのもあります。それに、ラファエル・サミュエルはそんじょそこらのイギリス人じゃないんですよ(笑)。ざっくばらんで温かい人でした。ネクタイしているところなんか、一度しか見たことありません。

*2: 『歴史の工房』90-104ページ、「歴史工房での徒弟時代 親方ラファエル・サミュエル」

9. イギリス時代(ラファエル・サミュエルさんとの生活時も含む)の料理はどのようにされていましたか?「不味い」という通説についてはいかがでしたか?


料理は日本にいる時からしていました。ラファエル・サミュエルのところにいる時は当番制でした。でも彼は週の何日かは講義のためにオックスフォードに行っていましたから、そういう時は私一人です。あと、ラファエル・サミュエルの新しいパートナーが来ると、彼女がご飯を作ってくれました。

味については、学食などは不味いんですけど、ちゃんとした家庭に行くとエリザベス・デイヴィッドの料理の本『フレンチカントリークック』なんかを読んで作るから、なかなか美味しかったです。あと、呼ばれませんでしたけど、Gentleman Clubなんかはちゃんとしたシェフがいるので、美味しいのがでるようです。まだロンドンにもミシュランの三ツ星は2~3軒あるくらいでしたが、ひとつ星なら家庭的で美味しかったです。こういうところで美味しいのがあったときは、教えてもらって作ったりしました。

家に招かれたら、こちらも招き返さないとならないので。興味がある人や、友達になりたい人を招いていました。三ケ条があるんですよ。Good food, Good wine, Good company これでディナーパーティーは成功です。でも、12時前に帰っちゃったら今日のディナーパーティーは失敗(笑)。

10. イギリスに住居についての思い出はありますか?ホテルのバスタブの湯がはかない糸のよう…とか、床が歪んでいて船酔いする…というイメージがありますけど(笑)。


それは妻がいまだにブツブツ言いますよ。イギリスのホテルは部屋や食事が良くてもお風呂がね…。私の入った後、妻の時には水しか出ないとか(笑)。

ラファエル・サミュエルの家はテラスハウスでした。地下にキッチンとダイニングがあって、私は2階の部屋を使っていたんですけどね。トイレが外でねぇ。〔ここで松家さんがアラスカに行った時の、out houseと呼ばれるトイレの思い出話がありました。屋外で汲み取り式だったという話。〕

いや、水洗でしたけど。木の便座で、冬はものすごく冷たくて。ここから移ってハイゲートに住んでいた時は、便座にタオルを手製でつけて使ってました(笑)。それから、セントラル・ヒーティングはうらやましかったですね。ラファエル・サミュエルの家はそうではありませんでしたけど。あれは夢でした。

11. 須賀敦子さんのエッセイ『須賀敦子の手紙』の中に、「同僚でわりと仲のいい草光さん…」と草光先生のことが出てくるのですが、須賀さんとの友情についてお聞かせ下さい。また、須賀さんが後にあのようなエッセイストになられると思っておられましたか?


留学が終わって帰国してから上智大学で働くようになって、そこでデビューする前の須賀敦子さんに会いました。日本人の同僚の中で一番仲が良かったです。毎日一緒にランチしてましたし、須賀さんのフォルクスワーゲンに乗って、お昼に青山のお寿司屋さんに行ったりね。だから私は「わりと仲のいい…」というところは不満なんですよ。とっても仲のいい草光さんって書いてくれないと(笑)。須賀さんのダンテのイタリア語の講読会にも1年間参加していました。

家も行き来していました。妻が出版者勤めだったので、須賀さんの『ミラノ 霧の風景』を出したいと交渉していましたがかないませんでした。

エッセイストになるとはとても想像していませんでした。よくご家族の話はされてましたけど。比較文学とか翻訳の方のお仕事をされていくのかなと思っていました。当時すでに私は『チーズとウジ虫』を読んでいましたから、ナタリー・ギンズブルグとカルロ・ギンズブルグの話をしたりもしました。

12. イギリス時代の愛車のお話を聞かせて下さい。どんな車に乗っておられましたか?


ひとりでハイゲートに住んでいた時は、ポンコツのモーリスマイナートラベラーに乗っていました。動かなくなると前にクランクつけて回したりしてね。ケンブリッジの時は赤いオースチン・ミニに乗っていました。シュリンプちゃんって名前を付けて(笑)。シュリンプって小エビのことです。だから小エビちゃん。これでよくロンドンに行っていました。

〔ここで松家さんが伊丹十三さんの「車は壊れるものなんだ」というエピソードを披露。〕

古い車の故障はたいしたことないんですよ。どこかしらいじれば治るから。でも最近の電子系はどうしようもないです。どこが悪いか分からないんですから。

13. 『歴史の工房』のあとがきに、みすず書房の方とのお約束だったケインズについての本のことが書かれていますが、進捗はいかがでしょうか?いろんな文人と交流のあった人だと思うのですが、ヴァージニア・ウルフやE.M.フォースターがちらっと出てくるってことはありますか?また、ラファエル・サミュエルのボヘミアンな破天荒な人生もぜひ読んでみたいです。


現状はまだ進んでいませんが、一次資料を読んだ上で書きたいと思っています。

(外科医で、W.ブレイクや J.ダンの書誌学者でもある)弟のジェフリー・ケインズは、自伝に兄のことを書いています。また、ジェフリーの息子のスティーブン・ケインズとは付き合いがありますので、叔父さんのことをいろいろ聞いているところです。ケンブリッジのキングス・コレッジにも資料があるので、行きたいと思っています。周辺のものや手紙を読みながら書きたいですね。ヴァージニア・ウルフなども、ちらっとどころではなく出てくると思います。

ラファエル・サミュエルについては、妻のアリソン・ライトが今、伝記を書いています。私に調査が来ないのはおかしいと思っているんですけど(笑)。一緒に暮らしていたのは知ってるはずなんだけどな。ボヘミアンだった彼も最後には結婚したんですよ。驚きました。

でも、彼女の書くものは彼女の書くもの、私の書くものは私の書くものですから。英語でも書きたいと思っていますけど。

14. イギリス時代にタイムズ紙(新聞)に日本人のObituary(訃報)記事を書いていたそうですが、その時のエピソードは何かありますか?


はじめ、(文部省の人で浮世絵コレクターでもあった)慶應の高橋誠一郎先生についてタイムズに投稿したんです。オビチュアリーは基本的には匿名なんですが、その時は名前付きで掲載されました。その後の記事は無記名でしたが、それでも嬉しかったですよ。自分の書いたものをタイムズが認めてくれたって思って。あるときオックズフォードの先生から連絡がきましてね。二人でいろんな人のオビチュアリーを今のうちに書いておこうと誘われました(笑)。それはやりませんでしたけど(笑)。

15. Q&A (若い男性から)草光先生が歴史に興味を持ったきっかけは何ですか?


明治維新からです。政治的な関心から、明治維新はブルジョワ革命か?と。マルクスなどの頃ですね。野呂栄太郎を読んだりね。当時は真面目なマルクス・ボーイでしたから(笑)。マルクス主義を学ぶうちにイギリスが見えてきました。

16.Q&A (草光先生の同級生から)アーネスト・サトウについてはどう思われますか?


私はアーネスト・サトウについてはあまり調べていません。『日英交流史』では私は柳宗悦(*3)について書いたんですが、あの中にも明治以前の有名な人もたびたび出てきます。

*3: 『歴史の工房』136-157ページ、「柳宗悦と英国中世主義」 
なお、『同』182-203ページ、「ラスキンの使徒 御木本隆三」の初出が『日英交流史1600-2000』となっています。

17. Q&A (放送大学の『ヨーロッパの歴史II 植物からみるヨーロッパの歴史』に関して、)庭園史に興味を持たれたのはどのタイミングですか?


イギリスに行ってしばらくした頃ドイツに行きましてね、そこにイングリッシュガーデンと書かれた庭園を見たんです。ドイツの庭は幾何学的なものが多かったんですが、イギリスの庭と書かれたところを見ましたら、なんだこれは、と。いわゆる風景式庭園だったんですね。それを見てからでしょうか。

〔ここで松家さんが、「私はイギリスの庭は好きですね。幾何学的な庭園よりも」とおっしゃると…〕

ところが、ウィリアム・モリスは風景式庭園が嫌いだったんですよね(笑)。ピクチャレスクとか風景式を批判しています。中世の囲まれた庭が好きなんですね。小さくても地元の花や果樹を植えたりとか。また、イギリスでは18世紀半ばにハンス・スローンがケンペルの『日本誌』を英訳して、それがベストセラーになっています。この辺を調べていて授業が出来上がりました。

おまけ:(末家さんより最後の質問)Unwritten lawというか不文律というか、イギリスは法律でカチッとやるのは信用しないってところがあるんですかね?


いやいや、そんなことはないですよ。Written constitution はありませんが憲法はあります。

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以上、このような感じで、大きな拍手の中、2時間の対談式トークショーは幕を閉じました。

ちなみに、17番目の質問は私のです(^^)。それから、最後の写真はトークショー中にメモしたノートです。

あらためまして、素敵なトークショーをありがとうございました(o^^o) 


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