「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター」展@Bunkamuraザ・ミュージアム(2017/6/24)


6月24日(土)の朝に、渋谷の東急Bunkamuraザ・ミュージアムに、写真家ソール・ライター展を見に行きました。昨日(6/29)のブログ記事に、ソール・ライターのドキュメンタリー映画『急がない人生で見つけた13のこと』を取り上げましたが、その映画の予告を見て、駆け込みで写真展を見てきた格好です。

開館時刻の15分前に神泉駅で電車を降りミュージアムへ向かいましたが、到着したときにはすでに30人ほどが列をなしており、私が並んだ後からもどんどん人がやってきました。

★「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」公式サイトはこちら→ http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/

※展覧会はすでに終了。関西方面では2018年の春に伊丹での開催予定があるようです。


時間に余裕のある時はいつも展示目録をもらって、そこに作品を見て気づいたことなどをメモしています。写真展の場合は自分も写真を撮りますし、暗室にもお邪魔していたので、いつの間にか見るポイントも以前とは変わってきたようで、そういう意味でも今回のソール・ライター展はとても面白かったです。

ソール・ライターの写真の特徴は、その視線の遠さにあると思います。写真家の視野は遥か遠くの物や人物を捉え、自分と被写体の間に一見、障害物に見えるものがあればあるほど、まるでそれを楽しむかのように画面に大胆に取り入れ、唯一無二の世界を切り取っていくといった印象です。それをソール・ライターは自身のドキュメンタリー映画の中では、「隙間」からの写真と呼んでいました。

また、必ずしも主題にピントを持ってきてはいなかったり、画面の上や下に大胆なマッスを持ってきていたり、ズームレンズでのクローズアップがあったりと、セオリーにとらわれない自由な写真がたくさん見られました。

ズームレンズに関しては映画の中でも使用しており、ミニスカートをはいたモデルさんのような若い女性達がベンチに並んでジェラートを食べてる姿を、いくつも並ぶ膝をクローズアップしてポップアートのように切り取り、「老人にこんな破廉恥な真似をさせてるってこと、あの子達わかってるのかな?」と冗談を飛ばす場面もありました。

また、撮影やクリエィションの自由ということに関しては、「自由にやらせてくれればいい作品を撮るし、自由にやらせてくれなければ良くない作品を撮るまでだ」と言って笑っていました。(ファッション誌での仕事についてのインタビュー場面にて。)

そして、コマーシャルな媒体用の作品としてのファッション写真も、完全に自由である街での写真も同じように楽しんで撮っていると話していました。そのたびに、(Do) you know what I mean? 「言ってること、分かるかい?」と何度も繰り返しながら。


ソール・ライターはもともとは画家になりたくてニューヨークに出てきたのだそうです。それで、展示の3分の1ほどは彼の絵画作品や絵の道具、写真に絵の具で着彩した作品でした。写真に着彩したものは、ヌード写真のテストプリントを使っていたのかな?と見ていて思いました。と言いますのも、同じ写真の着彩なしの作品もちゃんと展示されていましたので。

ヌード写真はパートナーのソームズのものもありましたし、ほかの女性達のものもありましたが、総じてイノサントな雰囲気を感じる素敵な作品でした。Instagramでコメントをくれた若い男の子が、ソール・ライターの写真を上品と評していましたが、私もそのように思いました。

ソール・ライターはマンハッタンのイーストビレッジに生涯50年以上も住んでおり、引っ越しもせず主に自分の暮らすエリアを撮影したそうです。なので、その50年のうちの大半は、お世辞にも上品と表現できる街並みではなかったはずなのですが、そこがまさしくソール・ライターのレンズを通したマジックなのでしょう。

自らも絵を志し、ボナール等の絵を愛したソール・ライターの写真は、色彩の美しさもさることながら、やはり絵画的なセンスがその構図やピントの強弱(ボケの使い方)に現れて、現実の生々しさを包み込む「上品さ」を生み出していたのかもしれません。

たまたまソール・ライターの映画を見た晩に、テレビの『美の巨人たち』で板谷波山の焼き物の話を見ましたが、波山の保光釉の技法は、ソール・ライターの雨粒に曇るガラス窓の写真を思い起こさせました。

もしかしたら、確固たる自信を自らの写真と生き方に持っていたからこそ、無名であろうと努めたのかもしれないなぁ。そんなことを感じた素晴らしい写真展でした。


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